今回は、教養学部地域文化研究科ロシア・東欧コース3年生の内川友里さんに御寄稿頂きました。
彼女のナチュラルな姿勢、そこからの学び、たくましい生き方にとても感化されました。
はじめに
私は何か国語も話せるタフグロな留学生ではありませんし、バックパック片手に世界一周するようなすごい学生でもありません。
どちらかというと勤勉ではない部類の、そしてあまり物事を深く考えないタイプの大学生です。
ですがこんな私が大学で学んだこと──自分の目の前のチャンスを掴むこと、そしてその流れに身を任せることを恐れないことの大切さ――について自分なりに書いてみようと思います。
ゆるふわな進路を見直すきっかけとなった2つの海外経験
もともと私が東大に入ったのは、「なんとなくかっこいいから」という理由でした。特に勉強したい学問があったわけではありません。
そのため入学当初は「とりあえずゆるっとした学部をでて、かっこよさそうな丸の内OLになって、なんとなくかっこいい日々を送りたい」と頭の弱そうなことを考えていました。
そんなゆるふわな進路を見直すきっかけになったのが、2年生の時に参加したトルクメニスタン研修とベラルーシへの短期留学です。
ロシア語を志すようになったトルクメニスタン研修
もともと「どっか海外行きたいなあ」という、これまた頭の弱そうな理由によって参加したトルクメニスタン研修。ですが予想以上に面白いエキセントリックな国で、温かい友人にも恵まれとてもよい体験をすることができました。
そんな中、私の価値観を少しだけ変える出来事がありました。
トルクメニスタンのバスの中で、ロシア人のチャーミングなおじいさんが話かけてきたのです。
どうやら英語が話せる日本人(トルクメニスタンは外交の指針上、外国人が非常に少ないです)がとても珍しかったようです。
そして彼は第二次世界大戦時に北方領土にいたらしく、こちらに聞かせる気があるのかわからないほどの(!)早口のロシア語でその体験談を話し始めました。
しかし私は当然ロシア語などわからなかった上、同行者のトルクメン人の男の子も(おじいさんが早口すぎたせいか)いまいち何を言っているかわからなかったようです。
そのおじいさんはひとしきり話すと満足してさっさと降りてしまいましたが、私はそれがとても残念でした。
きっと彼の体験談は、日本人の私にとってもかなり興味深い内容だったはずです。それなのに「言葉が通じない」という理由で、全く意思疎通がとれないこと──自分の世界が小さくなってしまうこと。その事実がとても悲しいことに思えました。
そのため私は帰国後一念発起してロシア語を勉強しはじめました。お洒落な丸の内OLの夢からは一歩遠ざかりましたが。
ベラルーシでの新たな発見
そして更に新たな発見をすることになったのが、ベラルーシへの一か月の留学です。
学部の先生に勧められるがまま特に何も考えず参加したベラルーシへの留学ですが、ロシア語学習歴はおよそ3カ月ほどで、ろくに活用すら覚えていないレベルでした。
しかも知り合いがいない状態で参加したため頼れる人が全くおらず、日本人のルームメイトと命の危険を感じるレベルの大ゲンカをし(寝首をかかれないか毎晩怖かったです)、「いい加減この生き方を改めないといけないんじゃないか?」などと考え始めていました。
しかしそんな中私を支えてくれたのがベラルーシの人の温かさです。
バスのチケットがとれず困っていると声をかけてくれたおばさんや、赤ちゃん(というか乳幼児)レベルのロシア語しか話さない私を観光に引っ張って行ってくれたベラルーシ人の友人。
辛い環境でも、必ず助けてくれる人がいるということは大きな支えになりました。
そして私はこのすばらしい旅によって、教養学部のロシア・東欧科に進むことを決めました。
これはもちろん、入学当時は全く考えていなかった進路です。
目の前にあるチャンスを恐れずにつかむこと。そして「意外となんとかなる」ということ。
まだこれからの人生何があるかわかりません。
5年後、かっこいい丸の内OLになって新丸ビルでパスタを食べてるかもしれないし(しつこい)、もしかしたらアフリカの奥地や中央アジアの砂漠地帯でフィールドワークをしているかもしれません。
ですが、その時目の前にあるチャンスを恐れずにつかむこと、そして「意外となんとかなる」ということ──これは私がここ3年で得たとてもよい学びでした。
ぜひ東大女子に限らず、女性がもっと大志を抱けるような世の中になればいいなと思います。
ゆりさん、どうもありがとうございましたー!
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