「アニメで世界を平和にしたい」50の国巡るオタク経済学徒の夢

今回は、「アニメで世界平和を作りたい」と文字通り世界中を飛び回っているKakiさんにご寄稿頂きました。

なんというか、本当に凄まじくて、異次元の深い愛とエネルギーに非常に心打たれたのですが、この凄まじさをイントロで表現するのは到底無理なので、ぜひご自身で読んで頂きたいと切に願います。

昔はよくコスプレをしていました。何百枚もの中から奇跡の一枚を選ぶので、普段の見た目と乖離しすぎててよく詐欺だと言われます。

 

数ヶ月前に寄稿のお誘いをいただきながら、推し(好きなアニメキャラクター)の最期を目にしてからの心の傷が深くて精神的ひきこもり状態にあったため、年の瀬まで引き延ばしてしまいました。

「こんな私も東大女子」という名前のサイトということですが、自分今年の九月付で東大を卒業しているため、正式には「こんな私も東大女子だった」人間です。お許しを。

簡単に自己紹介。

両義的セカイ系腐女子を自称しています。

アニメを通じた世界平和の野望を胸に、アニメビジネスに活かせるようなマーケティングの知識を得たくて東大経済学部経営学科に入りました。

以来、世界50カ国ほどをバックパッカー式に旅しながら、各地のアニメファンにインタビューしたり、現地のアニメイベントで講演会をしたりという活動を続けてきました。

留学マニアじみたところがあって、これまでハーバード大学やUCLA、フランスのHEC経営大学院や香港大学など、合計六個の大学に留学してきました。

世界×アニメへの目覚め~東大に入るまで~

小学生の時、アニメ「鋼の錬金術師」との出会いが私のオタク人生の始まりでした。

公式HP見たさに初めてパソコンを触り、必死に大人っぽい口調を真似てチャットサイトに投稿し、アニメ雑誌を買うようになり、アニメグッズ専門店まで一時間以上自転車を走らせ。

中学でうっかり二次創作サイトに足を踏み入れてから、コミックマーケットに参加、同人誌に手を出すようになり、オンリーイベント、そしてコスプレイベントへと、ずぶずぶ沼にはまり込んでゆきました。

アニメと海外を結びつけて考えるようになったのは高校生の時です。

エヴァンゲリオンにのめり込んだのとほぼ同時期、ネットで偶然見つけた海外の高校生のコードギアス分析ブログに感動し、彼に連絡を取ってメールで文通を始めました。
当時引っ込み思案で人と話すのが苦手だった私も、アニメのことであればどこの誰とでも自然に話すことができました。

アニメが持つ、国境を超え人と人を繋ぐ力に魅せられました。

私が受験の年を迎えた頃、クールジャパンの盛り上がりが山場を過ぎ、日本アニメが中韓に押されているなどとニュースで耳にする機会が増えていました。
大好きなアニメが危機に瀕しているのではないか、自分も何か業界の力になれないかと、考えるようになりました。

受験直前まで、私は将来声優かアニメ系の舞台俳優になりたくて、中高生向けの声優養成レッスンや、殺陣(チャンバラ)の道場に通っていました。

しかしその夢を考え直し、ビジネスや海外展開の面からアニメを支える人間になろうと、東京大学経済学部経営学科(一年次は文科二類)に入ることに決めました。

これも二年ほど前の写真。最近は小説書くのが楽しいのでコスプレは卒業気味です。

なんちゃってダウナーだった中高時代

このメディアはこれから受験する学生の方も多く読まれていると聞いたので、大学に入ってからのことの前に、もう少し中高時代のことを書きたいと思います。

中高時代、私はオタクである以上にものすごいガリ勉でした。

今から振り返ると少し病み気味だった気もします。絵を描くのが好きだったのですが、机の前で勉強以外のことをする自分が許せなくて、一日11分までと決めた「絵の時間」を少しでもオーバーして落描きしたら、制裁と称して自分を殴りつけたりしていて。

表面的には私は勉強と趣味を両立している人間に見えたと思います。
上で述べたような声優や俳優の養成講座の他、好きなアーティストのライブや同人イベントにもよく参加していました。

ただ、いつも逃れ得ない圧迫感があって、勉強以外のことに本気で取り組めなかった

ライブのMCの間に英単語帳を開いて暗記したり、歩きながら常に数学の問題を考えていたり、同人イベントのサークル待機列でさえセンター試験の過去問を解いていたり。周囲の迷惑だと思いつつも、やめられなかった。

そんな自分が大嫌いでした。
世界に何も発信できない自分。勉強以外のことに全力を注ぐ勇気を持てない自分。社会にとっての価値を生み出せず、人を不愉快な気持ちにさせてしまう自分。

東大の受験が終わった当日深夜、包丁を持って家を出ました。
厨二病らしく公園のジャングルジムのてっぺんに登って、胸に浅く包丁を突き立てて、今日でこれまでの私は死んだんだ、もう生まれ変わってやるんだ、と叫んで、大学では違う自分になることを決意しました。

そして世界系腐女子に〜大学に入ってから~

大学に入ってからの私は、もう勉強に逃げない、好きなことをとことんまで突き詰めてやると息巻いていました。半ば吹っ切れ状態でした。

大学最初の海外経験は、一年生の時。

新疆ウイグル自治区〜外モンゴルを遊牧民と共に馬で旅するプログラムに参加しました。
初日から馬に乗せられて、はじめは馬の背にしがみつき振り落とされないようにするだけで必死だったのに、二週間もすると適応して、立ち乗りで駆け足、鞭まで扱えるようになりました。

全くアニメとは関係ないプログラムなのですけど、コスプレイヤーさんだったり同人作家さんだったりが結構参加していました。これは私見なのですが、アニヲタって意外にアウトドア派が多いんですよね。情熱に向かって突き進む力があるから、登山とかひとり旅とか向いているのかもしれない。

大学二年でも、ウズベキスタンフィールドワークや、欧州のナノマシン研究所訪問(私専門経営系なのに、申し込んだらなぜか採用されてしまった)に東大からの派遣学生として参加、そして大学三年からはより目的意識を明確に持って、海外留学生活を始めました。

まずアメリカのハーバード大学、そこからMIT(マサチューセッツ工科大学)、UCバークレー、UCLA、フランスのHEC、香港大学。どこの大学でも主にメディアスタディーズやコンテンツビジネスについて学びました。

留学当初はこんなにたくさんの大学に行くつもりはなかったのです。

ただ、東海岸に留学したら今度は西海岸のエンタメ事情を知りたい、西に行ったら今度は欧州のことを知りたい、そしたら次はアジアと、どんどん広い世界を知りたくなってしまい、現地に着いてから、恩師や友人に助けられつつ次に行きたい大学と自力で交渉し、その時々の居場所を綱渡り状態で獲得していった感じです。

こうして一大学一年の予定だった留学が、結局六大学三年に渡るものになっていました。
幸い当時は(今もかと思いますが)官民揃って日本の学生の留学を後押しする風潮があって、奨学金の数も多かったので、留学費用の大部分はカバーすることができました。

留学から帰ってからの大学三〜四年の時期は、大学のビジコンで中国に行ったりと学内プログラムも使いつつ、もっと自由に動くため、ひとり旅で海外のファン達の元を訪れて、ブログにそこで得た知見を書くようになりました(ブログ:http://otakucrossing.com 最近更新サボり気味ですが……。)

そのご縁で海外のアニメイベントを束ねる協会からお声がけいただき、特攻隊長という肩書きで世界各地のアニメイベントを訪問し、日本との橋渡しを行うようにもなりました。

キューバや旧ユーゴスラヴィア、中東など、日本であまりアニメイベントの情報が入ってこない国々に飛び込むのが好きです。

また、大学では在学期間を通じてコスプレしてダンスを踊る「踊ってみた」系のサークルに所属していました。他にも、クラブやステージで公演する本格的なストリートダンスのサークルや、日本舞踊、国際学生会議運営等様々なサークルに入っていたのですが、結局最後まで続いたのはこのコスプレダンスだけでした。
今でもダンスは続けています。夜の公園で一人舞っているオタクがいたら私かもしれません。
高校から大学前半まで道場に通っていた殺陣はやめてしまいましたが、たまに刀は握っています。夜の公園で一人で木刀素振りしているオタクがいたらそれも私かもしれません。

普段自分の写真を撮らないのでコスプレ以外に載せられるものがない…。男装が好きです。

アニメで平和な世界を作りたい。

以前ヨルダンを訪れた時の話を書かせてください。

2016年夏、私はイスラエルのアニメイベントで公演するために中東を訪れ、イスラエルの前に隣国ヨルダンに立ち寄りました。同国の首都アンマンで、現地のアニメコミュニティのリーダーと会うことが目的でした。

親切で優しいそのリーダーの方は、アンマンの街を車で案内しながら、私に一枚のチケットを渡してくれました。
それはイスラエルのイベントと同日に開催される、ヨルダンのアニメイベントのゲストチケットでした。

「あなたにも私たちのイベントに来てほしい」

私は一瞬なんと答えようか迷ってしまいました。
ヨルダンはパレスチナからの避難民の方々が多く暮らす国で、他のアラブ圏同様反イスラエル感情が強い。
そこで、「イスラエルのアニメイベントに行くから、こちらのイベントには参加出来ない」と言うことが躊躇われたのです。かといって、日本に帰るから、などという嘘もつきたくなかった。

結局私は正直なことを告げました。
「この後、イスラエルのアニメイベントに行く約束があるんです」

こういうことを言うのが、この国の人達にどう思われるのか、分からないのですが、と私は続けました。

リーダーさんはフロントガラスの向こうを見たままでした。丁度アンマンの街の向こうに沈む夕陽が見えていて、空は赤く、新市街に続く道路は美しかった。

「自分の母親もパレスチナ出身だ」

リーダーさんは静かにそう言いました。

「確かに、両国の関係はあまり好ましいものではない、自分も、あまり隣国を好きにはなれない。それは仕方の無いことだ」

「分かっている。悪いのは個々のイスラエルの人々ではない。イスラエルの政府だ。それを言うなら、僕はヨルダンの政府も、パレスチナ自治政府も、Politicsのあり方は全部嫌いだ」

イスラエルのアニメイベントには、何人が参加するんだい?と聞かれて、私は、3000人から4000人、と、友人から得ていた情報を答えました。

リーダーさんは、それは凄い、と私の目を見て、言いました。

「一般的に言ってイスラエルのことは好きになれない。でも、そのアニメイベントに来る人達のことは、好きになれる気がする

 

あるいはこんなこともありました。

ボスニア・ヘルツェゴビナを旅した最中、現地のアニメコミュニティの人と一日を共に過ごした時のこと。

紛争を経験したコミュニティメンバーの一人が、「表面上は同じ町に住んでいても、違う民族同士、心の底で俺たちはお互いを憎み合っているんだ」とこぼした後に、おどけたように笑って続けてくれたのです。

でも同じアニメ好きなら話は別。自分たちのアニメコミュニティには、あらゆる民族のあらゆる宗教の人がいて、一緒に楽しくアニメを見てる

分かっている。本当はそんな簡単にいくはずなんてない。

たった一日二日一緒にアニメを語り合っただけの異邦人に、ぐちゃぐちゃした本音を教えてくれるはずがない。アニメ好きの日本人を喜ばせようとそう言ってくれただけかもしれない。本当はもっと腰を据えて彼らのコミュニティの中に入っていかなければならないのかもしれない。あるいは分かろうとすることこそが愚かしいことなのかもしれない。

けれど、少なくとも繋がりの可能性の片鱗を見ることができたような気がして、私はそれを大切にしたいと思っているのです。

極論に聞こえるかもしれませんが、私はアニメで世界を平和にしたいと思っています。

アニメが、異なる文化圏の人々が言葉を交わすきっかけになれば。
相互理解はできなくとも、違う点もあれば同じ点もあると知ることで人々が相手の差異に対してもっと寛容になれれば。

もし紛争地の子供達が、ご飯も安全も担保された平和の中で生きることができるようになれば、
ゆくゆくは彼らが銃の代わりに漫画を手に取れる日が来るかもしれない。

世界で漫画やアニメを楽しめるような環境に暮らす人々が増えることが、風が吹けば桶屋が儲かるではないけれど、結果として日本アニメのファンを増やし、産業規模を大きくし、業界のさらなる発展にも繋がると思っています。

だから私はアニメで世界を平和にしたいし、平和がアニメを救うような仕組みを作りたい。

アニメや漫画がすごいと思うのは、世界のどこにいっても、いわゆる普通から少しはみ出してしまった人たち、性的指向だったり価値観だったり人との距離感だったりで悩んでいる人達の受け皿になっていること、そしてその人達を繋ぐ媒介となっていることだと思います。

アニメのキャラクターは、三次元の人物と異なり、誰でもない。誰でもないからこそ、誰でもあれる。スクリーンの向こう、壁の後ろから彼らの姿を見守りながら、性別、生まれ、国に関係なく彼らの思いや生き様に共感することができる。それは彼らの物語でありながら、私の物語でもあり、私たちみんなの物語でもある。

私はそんなアニメの無限の可能性に心底惚れ込んでいるんだと思います。

ここまで読んでくださり有難うございました。

沼底へ戻る前に最後これだけ言わせてください。

推しが愛しすぎて辛い。

以上です。

Kakiさん、ありがとうございました!

 

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