今回は、文学部4年生のアリスさんに、「翻訳」について語って頂きました。
翻訳ってなんか地味だなぁと思っていたあなた!(え、私もですって?)
アリスさんの例を用いた翻訳の魅力、ぜひ耳を傾けてみて下さい。わたしは翻訳の奥深さについて新しい発見をさせて頂き、感謝感謝です。
はじめまして!文学部英語英米文学科4年のアリス(Twitter: @LadyAlice913)です。
自己紹介をしておくと、私は語学と文学が大好きで、東大のTLP(トライリンガル・プログラム)履修生でもあります。
私にとって母語は日本語です。日中ハーフですが、小さい頃は中国語はほぼ話せず、きちんと勉強しだして楽しくなってきたのは大学からで、3年生の時にHSK6級を取得しました。英語は3歳から学習を始め、あまりにも好きすぎて小中のうち4年間オーストラリアに留学していました。IELTS 8.5です。英語への愛はイギリス文学(特にヴィクトリア朝小説)を専攻している今も変わらず、いや、ますます大きくなっていますね。
現在は日本と海外の出版社をつなぐ出版コンサルティング会社でインターンをしています。主な仕事内容は通訳と翻訳で、出版社同士の会議における通訳や、書類、ノンフィクション、実用書、絵本などの翻訳に携わっています。
翻訳の魅力
ではでは、今日は翻訳の魅力について簡単にお話しようと思います。
小さい頃から本を読んだり映画を観たりするのが大好きだった自分。しかし、触れてきた作品が主に日本のものか英語圏のものに偏っており、中学くらいまでは作品の翻訳というのにあまり興味を持っていませんでした。高校に入ってから他の言語圏の作品にも積極的に手を出すようになり、ここで翻訳の恩恵に与るわけで、やっと翻訳の面白さに気付いたのでした。
翻訳版が無いということは原作の言語を使用しない読者たちに作品が伝わることが無いということです。いわばその世界が閉ざされているのです。イギリスの詩人John Keatsが “On First Looking into Chapman’s Homer”(1816)で表現したような、翻訳された作品から得られる感動の機会を知らぬ間に逃してしまっているのかもしれません。
原作が魅力的であればあるほど、それって非常に勿体無いことではありませんか?そこで、翻訳の出番です。上手な訳文で作品の仲介が行われると、読者の楽しみが増えるのみならず、文化の交流が生まれ、無限の可能性が広がるのです。
翻訳は、言語・文化の衝突現場。翻訳者は、言葉の魔術師。
さて、ここからは翻訳自体について小説と映画を題材に書いてみようと思います。明治時代の翻訳家・森田思軒のフレーズを借りると、翻訳とは「言語と言語、文化と文化が衝突する現場」なのです。
一対一の対応ではない厄介な言葉の世界。まるで少女アリスが不思議の国で大きくなったり小さくなったり姿が変わるみたいに、言葉というのは翻訳を通すと変形します。翻訳者とは、それを器用に操る言葉の魔術師でなくてはいけないのです。
『アナと雪の女王』にみる題名の翻訳
作品の翻訳というのは題名からして始まっています。
たとえば、『アナと雪の女王』として日本で知られているディズニーの Frozen (2013)ですが、もしこれが文字通り「凍った」と訳されていたとすればこれほどのヒットはありえなかったでしょう。
英語ではなぜ”frozen”なのか。それは、エルサの氷結パワーを表しているだけでなく、凍っていたエルサの心やアナとの凍結されていた姉妹関係がだんだん溶けてゆくという物語のテーマを示したタイトルだったのです。
ところが、日本語でそれを再現するのは難しい。そこで、ダブルヒロインたちの存在を邦題に編み込み、さらには日本でよく親しまれているアンデルセンの「雪の女王」を連想できるように、イメージの膨らみやすいキャッチーな題名にしたのだそうです。
言葉遊びにみる翻訳の面白味
次に、小説の文章の翻訳を観察してみましょう。
訳す人によって完成品がかなり異なる面白さ!そのことを良く分かってもらえる極端な例と言っても良いのが言葉遊び。
試しにLewis CarrollのAlice’s Adventures in Wonderland (1865)から第9章の邦訳を一部分だけ観察してみます。ディズニー版では最終的に省かれてしまったこの場面では、怪物グリフォンが昔教わった亀の先生について話しています。原文は“The master was an old Turtle – we used to call him Tortoise”, “We called him Tortoise because he taught us”。つまり、turtle(海亀)とtortoise(陸亀)の区別を示し、taught usとtortoiseという似た発音をうまく利用して彼の先生という立場をジョークにしているのです。
さて、この英語ならではの独特な表現をどうやって日本人読者に届けるか。
河合祥一郎先生は「先生は年寄りの海ガメだったけど、茶々と呼ばれていた」「先生はティーチャだろ。ティーとは茶のことだ。だから茶々じゃないか」 という風に訳しています(『不思議の国のアリス』、角川文庫、2011)。つまり、陸亀とは関係の無い別名を付けており、英語のteacherのカタカナ表記を冗談に組み込んだものにしているのです。
一方で、矢川澄子先生は「先生は年とったウミガメだったけど、ぼくたちゼニガメってよんでた」「だってぜにかねとって、勉強教えるじゃないか」と訳しました(『不思議の国のアリス』、新潮文庫、1994)。陸亀ではないものの、原文のように別の亀を登場させているんですね。そして「銭金」という授業料を示すワードにすり替えて言葉遊びを成立させているのです。
映画の字幕にみる翻訳の奥深さ
続いて、映画における台詞の翻訳を考えてみましょう。(長くなりすぎてもいけないので、ここでは吹替ではなく字幕の方だけに着目させてください、すみません。)
字幕の作成には通常の翻訳とは違うルールが多数存在します。字幕は一秒4文字が原則。常用漢字外、難しすぎる四字熟語、差別表現などはNGです。比喩なども、とにかく伝わりやすいように工夫する必要があります。教室では満点を取れる訳でも、字幕としては0点になる可能性が多々あるのです。
たとえば、Michael Curtiz監督のCasablanca (1942)に出てくるあの名台詞 “Here’s looking at you, kid”。ここで「君を見つめていることに乾杯、お嬢さん」なんてだらだらとした直訳にしてしまえば台無し!そこは、戦時下という緊張したシチュエーションの中、少しだけ甘いひと時を可愛い女性と過ごす主人公のキザさを煌めかさねばなりませんよね。そこで生まれたのが「君の瞳に乾杯」という高瀬鎮夫による伝説の訳だったのです。
逆翻訳と多言語比較の愉しみ
最後に、逆翻訳と多言語比較の愉しみについて記しておこうと思います。
山本史郎先生が開いていらっしゃる駒場の翻訳研究会に参加しているのですが、そこで取り組んだのが村上春樹の『ノルウェイの森』(1987)の英語版、フランス語版、ドイツ語版を用意して、それらを日本語に再翻訳して議論しようという挑戦。
参加者には仏文専攻も独文専攻もマルチリンガルもゴロゴロいますので、こういうのが可能なのですよね。言語によってまったく違う風に訳されていたり、原文には無いものが追加されていたり、あるいは削除されていたり、時には誤訳を発見したり、刺激的な3時間でした。
ここで感じたのは、英語版の責任は大きいということ。フランス語版でもドイツ語版でも、日本語の原文が難しいところの訳は「どう見てもこれは英語版を参照したなあ」と思われる箇所がちらほら。さすが、世界共通語とも言われる英語の力?!
以上、ほんの一部に過ぎないのですが、翻訳の世界を楽しんでいただけたならば幸いです。そして、興味のある方は是非Lawrence Venuti や Eugene Nidaなど翻訳論にも手を伸ばしてみてくださいね!
アリスさん、ありがとうございましたー!
私自身、母が翻訳家であるにも関わらず、翻訳というものにあまり興味を向けてきませんでしたが、アリスさんの文章を読んで、その面白さが垣間見えました。
そして何より、アリスさん自身の翻訳への愛が感じられました!
またお話をお聞かせ下さい♪
【9月30日】Girls Be Ambitious!投稿者+α交流会
年齢、性別、バックグラウンド参加可能ですので、ぜひお越しください♪
新しい化学反応を楽しみにしています!
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