恋心を短歌に込めて。夏の終わりにぴったりな、ちぎれる思いの結晶を。

今回は、ご紹介を受けて、文科3類2年生のM・Iさんに御寄稿頂きました。

なんと、彼女は恋心を短歌で詠んでいるのです。心が双方向で通じ合う事の難しさ、でも心の底の感情に見て見ぬふりを出来ない辛さ、それでも好きだという感情は尊い事。

そんな彼女の恋愛短歌をぜひ、ご堪能下さい。

恋愛論でよければ、と言ったものの、しばらく何も書けませんでした。恋についての考えは、恋をしている最中の人の脳みそだけに、たまらず溢れるものじゃないですか。

女子会では恋愛話をするものの、新鮮な恋をしている場合を除けば、こんなの残りカスだ、不毛だ、と思いながら、大抵なんども繰り返している話をスラスラと語ってはため息をつき、情けなくなっております。

 

私は短歌を詠みます。

31文字という形式のなかで、脳内の言葉のストックからスルスルとひとかたまりの詩が生まれる感覚、けっこうな快感なんです。残りの文字数に手当たり次第言葉をはめていく過程は機械的とすら言えるので、全く予期しなかった言葉の組み合わせが生まれることがあるのが、面白いところです。

恋愛をしている時、ことに私はたくさんの短歌を詠みます。

気持ちをそのまま結晶化できたら、という気持ちで日々短歌を作っているのですが、それについては幾分成功しているかもしれません。

自分の詠んだものが普遍性を帯びている、というといやらしいですが、その時々の具体的なエピソードを淡く帯びながらも、むき出しの気持ちそのものが記録されているように思えるのです。たまに、自分の短歌を残しているメモを見てドキッとしたりして。

恋については語ることが多すぎるし、その上漠然としているので、短歌特有の字数を整えながら切り捨てていく作業、終わりが強制的で、明確なところが良いのかもしれません。

 

記事中のイラストは全て彼女の描いたもの。

恋心を歌にこめて

今回はこれまでにためこんできた短歌を織り交ぜながら、今の時点で思う恋愛という心の動きについてお話ししてみます。

 

恋の訪れ

最近ある人と出会った日の帰り道、電車で自分がaikoやらYUIやらYUKIやら、そういう系統のアーティストばかり聴いていたので気づきました。
これは、久しぶりに恋、訪れちゃったのだろうか?

恋の訪れは頭を動かすより先にドカーンとでっかい確信があります。こればかりは、個人的にはYESかNOか、であり、間はないと思っております(もちろん自分の気持ちもあやふやなところから育てる恋愛が、世にたくさんあることは知っているのですが)。

好きなのかな?ではなく、なにを考えるよりも先に会いたい、一目見たい、そんな切実さで胸が満たされるものかなあと。1-2年に一度くらいのペースで、そういう出会いはやってきます。

目の前でわらった君のおもかげを 思い出す日は車窓から歌

 

心が通い合う恋は難しい

恥ずかしながら、これまで私はまともに心が通じ合う恋愛をしてこなかった方です。
私だけが非常に好きだったり、逆に相手に気持ちを返せなかったり、
お互いに恋人が欲しいというモチベーションで、探り合いながら会っているのだろうな、ということも。

君がまえ見たがっていた映画だよ 涙が満たすスクリーン、青

情けなし 新大陸にいてもなお 曲がり角から君が出そうで

本当は私のことが好きだとかいう冗談があればいいのに

オブラート、オブラートオブラートオブラート 振り返りみれば 笑っちゃうよね

朝、電車、水を湛えて取れそうな 瞳かかえて 揺られています

ついさっきふられた私は小石にでもいいから私はやさしくされたい

きらきらと溢れるような、言葉にもしなかった全部が溶けてかなしい

だいきらい ちょっと覗いた小さな歯 なんで見つけてしまったのかな

 

心の底の感情に素直でありたい

友人や先輩は、皆「理想が高いから」「女子校でこじらせたんじゃないの」と言いますし、私もそうに違いないと思っていました。ツラい。

お互いがお互いを、等しいだけ切実に欲する、物語の中には平凡に存在するその関係性のあまりの稀さ、難しさに、途方に暮れていた時期もありました。君に届けは誰がなんと言おうがファンタジーなんだ!!うああ!!!

とはいえ、自分の心底の感情に見て見ぬふりを、辻褄合わせをしていく、そんな倦怠期の夫婦のようなことを、若いうちからしたいわけがなく。もっとずっと、ちぎれるような想いがあるはずだと、お互いをすっぽりと包み込み、満たすことのできる関係があるはずだと、そればかりを追い求めています。
馬鹿だというのは自分が一番わかっています。笑

この春もまだあなたとは出会えない 運命からのまだだよに耐え

 

それでも、幸せで涙が出ることがあります。

遠くにある相手の姿が、存在が、がすでに自分の心の半分を占めているから、それを求めて心が泣くのでしょう。

その求め方は、もうほとんど砂漠における水、です。声を聞きたい。眼を見て話したい。恋をしている時は子供のようになってしまいます。自分で自分を持て余す面倒くささが嫌いで、でも会うとこの上なく満たされる、その不安定さに恋の醍醐味があるのではないでしょうか。

泣くように君の瞳を想う夜、強く祈れば星雨あられ

今、君のまなこの黒に溺れたい 骨ばる指の音を聴きたい

寂しいと言う君のその寂しさを埋めたい私はきがくるいそう

水槽でいつか会ったね 真っ黒の瞳は 今も変わらないのね

 

好きだ、という気持ちがこの世で最も尊いから

小さいもの、弱いものを愛しく思う気持ちの中にも、胸をかきむしりたくなるようなことがあります。ツイッターで流れてくる、間抜けな犬とか猫とか、赤ちゃんの画像とか。「食べてしまいたい」とはよく言ったものだなあと思います。

すきだ、という気持ちが、この世で最も尊いですね。感動に似て、もっと心の根っこに近いもの。

恋愛は、自分の胸を掘って掘って、見えるはずのない相手の心を描いて、絶え間なく揺れること。

生産性のないか行為だと思います。でも、こんなに素晴らしい気持ちもないと思う。人間に生まれた理由です。ほんとに。

ゲレンデに似たベランダで わらいあい 雪にまみれて好きだとふたり

恋すると子どもに戻るぼくら 何度も振り返る、目が合う、わらう

うーん、しんどいことの方が100倍くらいあるのですが、たまに、ごくごくたまに素晴らしい思いに満たされてしまうので、幾つになっても、切実な恋愛をしていたい次第です。

 

 

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